神様がいるとしたら、私が真冬の寒い日に生まれ、その場所を離れてもまた、

思春期、青年期の時代に雪のふる場所に戻り、暮らした日々は何かはかりごとだったのかもしれない。

雪の無い場所で暮らし始めると、冬でも花が咲き乱れ、靴底の滑り止めもいらず、ストーブも、冬タイヤも、温かな重いコートも、雪かきのダウンウエアも手袋も、車のわだちも、冬用のワイパーも、

買い物、旅行の時のカートが引けない煩わしさも、ゴミステーションの管理も、朝の底冷えも・・・・・無いことがこんなに精神的にも金銭的にも楽な環境なのかと驚いた。

雪国生活は大変だとしみじみしていた。

でも、目をつむると瞼に浮かぶ景色は決まって雪景色。

はらはら降る雪を見上げたときの雪。

翌朝カーテンを開けたときの一面のふわっと積った雪。

キンと空気が凍って小さな雪が星空から降りて来る雪。

雪は情感を豊かにする切っ掛けを作ってくれるのかもしれない。

もしそうならば神様のはかりごとに感謝したい。