
今度の日曜日は母の日ですが、母の73回目の誕生日でもあります。
母との思い出で楽しくって、笑い転げたというのはありません。
母には何でも話せるという気軽さはありませんでした。
むしろいつも何か言えば怒られるようなピリピリした感じがありました。
14歳の中体連に行く朝のこと、食事を終えて新体操の演技の道具を持つのを忘れたまま、
自転車に乗り友人の待つ駅へと向かいました。
途中で道具を忘れたことを思い出し、家に引き返すと道具がありません。
祖母が母が持って駅へ向かったと知らせてくれました。
「折角取りに来たのに」と不満をこぼし駅に戻ると友人が私の道具を抱えて立っていました。
「お母さんが届けに来たよ」
無事に大会で良い点を採れ、夕方帰宅すると母は台所で料理をしていました。
「朝、忘れちゃった」と私。
「しっかりしなさいよ」といつもの強い口調の母。
私はすぐに「ありがとう」と言いたかったのだけど素直に言えない癖がついていました。
眠る支度をしに階下へ行くと、お風呂上がりの母が一人で「痛たった」と絆創膏を貼っていました。
足の親指と人差し指の間の皮が大きく剥けて真っ赤。
直ぐに私は気が付かなかったのですが翌朝、玄関に置いてある母の仕事用の草履の鼻緒が赤く血で滲んでいることに気づきました。
あの朝、素足で履いてものすごい勢いで駅へ走ったんだとわかり胸が締め付けられました。
いつか私が母になった時、鼻緒を真っ赤にするほど一生懸命走る深い愛を持って育てれるだろうか?とその時思いました。
当時、母は41歳。
今私は46歳。
母の愛情の深さは越えれそうもありません。