
今朝の新聞に夢を壊す人のことを「ドリームキラー」というと書かれていたのを読んで、
すぐに私の脳裏にイソップ寓話の「アリとキリギリス」が浮かびました。
この話し、昔はわたしの天敵でした。
小学生の頃までは本で読んだ通りの記憶しかありませんでしたので、
夏に一生懸命働いたアリと、いつも好きなバイオリンを弾いていたキリギリスが冬を迎え、食料を蓄えたアリが、食べるものが無くてアリのところを訪ねたキリギリスを家に入れず、
キリギリスは死んでしまった、というものでした。
その後、高校生くらいから父に「お前はアリとキリギリスのキリギリスだから大きくなると困るぞ」といわれはじめました。
父いわく、私が好きなことばかりしているというのです。
内心「父が知らないだけで、わたしだって悩みも苦労もしている」と思っていました。
そのころは何をして生きて行けば良いのか、将来のやりたいことがわからず、また何でもしたくて、どう決めたらいいのか途方に暮れていました。
「いいな、キリギリスさんはバイオリンと決めれただけでも」と思ったものです。
それからも、何度となくキリギリスの話しは父から言われ、わたしは「そうなのかなー、わたしはキリギリスなのかな?」と頭によぎるようになりました。
「いかんいかん」少し洗脳されてきた!
テレビで所ジョージさんが「ハワイのキリギリス」という歌を歌っているのを見ました。
夏が来ないのでキリギリスはずっと好きなことをして楽しく暮らしましたーというような歌詞です。
「これだ!」と思った私は、父に「お前はだからキリギリス・・・・」と言われた瞬間、
「わたしはハワイのキリギリスだものー」と返すと
「ばかもーん」と叱られました。
しばし、私のキリギリス生活は続くのですが、ある時この話しを友人にしたところ
「キリギリスは好きな音楽でアリを楽しませたり、他の人を喜ばせることをしていたじゃない、自分のことしか考えないアリのどこがいいのかな。芸術はなかなか理解されないものですね」と言うのです。
ほー、なるほど見る角度を変えれば、理解もかわるものだなと感心しました。
もし、高校生の時にキリギリスを改めていたら今の私はいなかったでしょう。
キリギリスがアリの真似して働いて、骨折してバイオリンも弾けなくなっていたかもしれません。
ドリームキラーは夢を壊す人、ふむ、そうかも知れません。
でも、あの手この手で自分をキリギリスでもよいと言い聞かせる、もう一人の自分の育成に
そのキラーさんは役立つこともある気がします。