透明か まだまだ磨けるか

わたしの小学生時の校歌に、

「われら一途に、どこまで磨く。光る、まだまだ こころも清く」 

と、ありました。

わたしはずっと「まだまだ光るのだから磨かないといけませんよ」と解釈していました。

いつも歌いながら磨いている光景をイメージしていましたが、それは決まってクリスタル球が浮かんできました。

その為か、わたしは子供の頃から透明で磨くと光る物が好きでした。

以前このブログにも書きましたが、就職としてガラス工芸の職人になりたかったのもこの延長だと思います。

その後、ガラスに関する仕事に何度も関わることになりました。

 

わたしは迷ったり、悩んだりした時に「透明な道はどれか?磨き輝けることは?」と自分に問う様にしています。

いつから始めたのかわかりませんが、不思議とすっきりと答えがでて、気持ちもクリアになります。

 

今回久しぶりに校歌を確認したら、まだまだということではなく、「真玉だ」という意味だったと知りました。子供の時には理解出来なかったのでしょう。

でも球ということでは子供の時の直感は当たっていたのですから不思議ですね(笑)。

 

 

校歌